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でさー・・・「走馬灯」って結局何?

あれから」いろいろクールダウンしてみて、
なーんかもう少し客観的に書ける様な気がしたので
『自称』完璧な走馬灯を見た自分的にちょっとあーだこーだと書いておこうと思いました。

というか今日仕事が超絶暇で、なんとなくボーっとあの日のことを深く掘り下げて考えていたので。。。
書きたい気分になって書く。それだけ。

臨死体験 - wikipedia

[1]宗教的解釈、スピリチュアルな解釈では、死の瀬戸際での体験のこと。死に瀕して、あの世とこの世との境をさまよう体験。
[2]科学的解釈あるいは唯物論的解釈では死の間際の体験。夢、擬似感覚のうち、特に心停止前後に見るもの事で、蘇生した人間がしばしば報告するもの。

まぁ冷静に考えて「狂って死んで挙句走馬灯を見た」なんて阿呆な人間、そうそう居ないですよね。
そうやって考えると、「危ない」けどレアな体験できたと今は思います。

あの日見た走馬灯の全体像は、この前の記事のあの図のとおりであってるんですが

肝心の中身がうまく伝えられなくて・・・
そもそも、何で「エステルさんが居たの?」って話なんですよね。。。

以下いつもの締りの悪い感じでだらだらと・・・

あの走馬灯の中には、今まで記憶した「概念」の全てがありました。
死というものを覚悟した脳が、最後にギューッと記憶をブラックホールのように圧縮するんですから当然ですよね。

ただ「走馬灯」であるということは映像でありイメージがありました。
いろんなものを見て、いろんな言葉を感じて、いろんな音を感じて、いろんな肌触りや熱があって・・・

その中で印象的だったイメージが
「ひまわり」でした。
そのひまわりはクレヨンで描かれていて熱でだんだん焦げてプツプツと音を出しながら穴が開いて最後「ビリッ」って何か破れるような感じで消えてしまうんです。
ひまわり以外にも、色のある様々なもの。感覚的なものだと「針」とか、超高速で走り抜けるF-1マシンとか、あとはPCゲームソフトのメーカー名とか(汗
とにかくいろいろw
生命の進化や、モノの進化を一生懸命追おうとしてたのかなぁ・・・。
消えては蘇り、消えては蘇りの繰り返しで、3つの方向に同じイメージが順番にそれぞれ展開されてくんです。
それを目で一所懸命追ってるんですけど、毎回の途中の一瞬に必ず薄紫色の某オーガストの司祭キャラ。エステルさんが出てくるんですよねぇ(汗
他にも好きな二次元キャラいっぱいいるのに、何故エステルさんなんだろうとか今になったら不思議に思います。

そして、走馬灯の中に現実の人間は誰一人として居ませんでした。
人間が名付けた「概念的な」ものしかありませんでした。

遺伝子の記憶っていうのかなぁ・・・
人間って複雑な遺伝子を持ってて、ありとあらゆるものに言葉で名前をつける脳を持っていて、また複雑な感性がありますけど、前世のまたその前世のって記憶を辿っていくとただの単純な単細胞生物でしか無かった筈ですよね。
それが過去の限界で収束点だったんだと思います。
そして未来の限界はこれから予測出来ること。
来世へ繋がる記憶とでも言うべきなのでしょうか。

でも不思議なことに走馬灯は何度も何度も同じ自分の記憶の概念を繰り返しても終らなかったんです。。。

過去にも未来にも、限界は無い。無限。
生命の進化する設計図にも終わりは無い。無限。

多分「ミクロにもマクロにも無限」って感じ方をしたのは、
ある種の誤解で目に見える大きさとか小ささとかのことじゃないんだと思います。

ヒトに限らず、全ての生命の命題はどうやって自分達の種を存続させるか。
そのために自分達の種はどの種に協力しなければならないのか。
時には食物連鎖で食べられなければならないかもしれない。
時には毒を持ってして相手を殺さないといけないかもしれない。

自然淘汰の運命の中で、自分という遺伝子はあの時「狂って死ぬ」はずだったのかもしれなかった。

目に見える現実、今という時間の感覚。全てを失って途方に暮れて、
挙句死者の霊を妄想して、それに素直に脳は従って、全身の感覚が狂って、そして意識を失った。
起きた時に口から泡を吹いていたことと、走馬灯を見ていたことから、明らかに生命として危ない状態だったんだと思います。

生きとし生けるものの「考えてること」ってみんな共通で「自分が生き残ること」な筈ですよね。
自分は飽き性で、とにかく知りたがりで、何でも自分の目で見てみたりやってみたりしないと気が済まない人間です。
だから多分、それまでの時間いっぱい悩んだり、それこそ自分で死のうと思ったこともあった筈。
だから「死」とは何か、それを自分で体現するまではとにかく焦り続けて生きてきた。
(まぁ今も別の意味で焦ってますがww)

結局目が覚めた場所は、自分が死を覚悟して意識を失ったところから500mくらい先の交差点だったんですが、ほんとに一体どうやってそこまで移動したのか。。。
「夢遊病」でもやってたんじゃないかと・・・

ただ、幸いだったのがその交差点に「薄紫色の花」が咲いていたこと。
目がぼんやり開いた瞬間も、走馬灯の延長線上で錯乱していて言葉も出せなかったんですが、
その現実の映像を見ながら「なーんだ、やっぱりエステルさんじゃん。」と
倒れた私を見下ろす警察官を無視してその方向にずっと意識を集中させていました。
その現実の映像すらも、今思えば3つの方向に分かれていて、
その花の咲いている場所にぐるぐる回った目が行く瞬間だけに意識を向けていました。

この体験は自分にとっての貴重な財産だと思ってます。
でないと、危険を冒して狂って死んだなんてリスクが大きすぎて、とても精算しきれません。
何でああなってしまったのか、むしろあんなことが出来たのかっていうと
やっぱり頭がおかしかったんだと思います。
子供の頃からそうでした。

物事に理由を求めて、好きなものはとことん追い求めて。分からないことはとにかくひたすら考えて。
小学校2年生の水族館への社会見学のときにはずっと水槽を眺めていてはぐれてしまってお昼の時間までみんなと合流できなかったくらいに。
結局、こういうことになる直前は、「白昼夢」に近い状態で次から次へと浮かんでくる妄想を信じちゃってました。
私の部屋の中は、ある瞬間までは私を応援してくれるお化け(笑)だらけでした。

ひとりぼっちになったときに、考え事に耽るというのは誰しもあると思います。
その究極系(笑)とも言えたのがあの時の状況だったんですね。

とにかく何かにつけて争いが起きるこの世界。
いくら苦しんでも報われない人もわんさか。もう現実にうんざりしてたんでしょうきっと。

まぁぶっちゃけ今もうんざりなので、
現実になるべく向き合わずに済む仕事がしたいなぁとか思ってるんですが(笑)
それでも何だかんだ言って、間接的に助けてくれた「生きている人」がまだいっぱいいるので、
よいこらしょーっと身体と頭を動かし続けないといけないんだと思います。

この世界では、いろんな生きる「術」があります。
身体をうまく動かして仕事を効率よくこなしたり、上手な報告書を作ったり、時には人を欺いたり(笑)
自分も上手いこと生き残るために、少しは自分の我侭を聞いてあげつつ、やっぱり「生」と「死」で「生」を選び続けている以上、この世でやりたい「未練」=「夢」をなんとかして叶えてやりたいものです。

正直言うと、あのまま死ねたら幸せだったなってちょっと今も思っています。
二次元の世界に旅立てたんですからねー。
でも何か違うんですよね。
「与えられたもの」に影響されてずーっと生きてきたけど、
ちょっとくらい自分も影響を与える側に回ってみたいなって欲が出てくるんです。

自分の理想の世界観をおとぎ話でも、つまらない一言でも何でもいいので人にメッセージとして伝えていきたい。
きっと、みんながそうやってメッセージを発しながら生きていかないと、人類絶滅しちゃうかなとか。

いつか遠い未来には、世界は一つにまとまって
くだらない争いや見栄の張り合いなんて無くなるのかもしれないなぁとか思ったり

それでもやっぱり人口増加や食糧問題とかいろいろ世界は日々悩んでいて
そんな現実からふっと目を背けられる場所もちゃんとあって
だから結局、今は今を生きるしか無いのかなぁとか

うん、誰も読まないなこれ(笑)
作品でも何でもないので順序立てもせずにとりあえず書きたくてテキトーに書きなぐっただけです。読み難くてすみません。

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