抹茶味chips
ヲタ系雑記サイト(二次元全般・舞台訪問・天文・痛車・whisky etc)
たまには「私は宇宙の頂上を見てきたんだー!」くらい驕った事言わせて下さい(笑)
今もなお、心の病と闘ってます。
でも、正常に人とコミュニケーション出来るのは何でかなぁとつくづく思うのです。
多分、自分で言うのもアレですが「演技」が上手いんじゃないかなぁと・・・。
気分的に、躁になったり鬱になったり
そういうことはしばしばですが、それでも割りと平凡に日々を過ごしています。
4月の頃は、妄想に従って進んでいくと最後は狂って死んでしまうなんて知らなかったので、
「感じるまま、感じることを」し続けて、まさに「妄信」して生きてました。
きっとこれは、ヒトが生き残る為の「本能」なんでしょうねぇ・・・。 「現実」に裏切られてしまったという事実が私をどこまでも突き動かしてました。
幸か不幸か、世界情勢も目まぐるしく動く時期でしたし、いろんな想いがあったと思います。
そして、やっぱりその頃ずっと気になっていたのが好きな声優さんの佐本二厘さんのこととか。
世の中には疑問に思うことどころか、間違ったことも多々存在してるのだと思います。
人の夢を平気で踏みにじる存在。情け容赦なくプライドをへし折る人。
人の心を失ってまで、守りたい何かがあるんでしょう・・・。
その人たちは多分「夢」より「現実」の方が大好きなんですね。
ヒトに生まれた以上、現実を見ていなければ前には進んでいけません。
でも、それ以前に夢があるから現実を見るんじゃないでしょうか。
じゃあ、夢って何かって考えると、それはヒトが生まれながら持っている共通の「設計図」だと思うんですよね。
いつの時代でもそうですけど、「未来」に必要とされるものは、既に現代の人の夢の中にあって
それがタイミングや条件が揃うと具現化されて、時代のリレーが行われていく。
きっとそうやっていつまでもいつまでも、未来に向かって人は「進化」していくんだと思います。
私があの日見た、無限に続く走馬灯も「夢」でしか無いのですが、
その時に感じたイメージが今こうやって言葉になって紡がれています。
あの時見ていた、中心にある「点」を
もしも人が眠る時、もしくは現実から目を逸らした時に同じように想像していたのだとしたら
そこから生まれるものは当然「未来を目指す言葉」や「アイデア」になって表現されていくんだろうなと思います。
そういうことを、あの時「一回死んでみて」知ってしまったから
今はどんな言葉もどんな歌(詞)も、すーーっと頭の中に染み込んで来ます。
ただ、ちょっと後ろ向きになったり、違和感を感じるとすぐに偏頭痛とか身体の痛みになって現れたりするので油断できません。
この前友人2人とカラオケへ行ったんですが、二人ともボーカロイド好きで、
ボカロ曲ばかり歌うんですよね。
でも、詞を見てると、メロディを聴いていると、人の心の揺れ動きがすごく繊細に描かれていて思わず感動してしまいました。
何で同じモノを見て、人が共通に感動できるかってやっぱりそういう「意識の共有」みたいなところから来るんだと思います。
時代時代にタイミングがあって、この時代にはこういう旋律をっていうのもあるのかも知れません。
これから生まれる歌や曲、そして物語にも無限の期待があります。
ふっと溢れる涙の意味は何なのか、繊細だからこそ折れそうになるときもあるけれど
無限の妄想が私に付き合ってくれるから、一人ぼっちでも転ばずに歩ける。
「妄想」って「亡き女を想う」って書きますけど、
本当に一人で生きてる人には大きな力になると思うんですよね。
時には「祈り」とか「願い」ってカタチになって宗教観として現れることもありますけれど、
私には「全ての情報」が宗教みたいなものに感じています。
信じるも、信じないも自分次第なんですから。
世の中には表と裏があって、人にも表と裏があって
でも認識出来るのは、表層する声や文字そして表情であったりとかそういう「情報」です。
そんなことを考えてると、誰を信じていいのか、誰についていっていいのか分からなくなるので、
そんな時はもう「何もわかりませーん」ってお手上げして目の前の人にテキトーに合わせます。
それでも普通にコミュニケーションが成り立ってしまう不思議な自分。
結局は「生き残りたい」という本能があるからこそ、
妄想と現実の自分の行動を器用にコントロールしてしまってるんですよね。
欲を言うならば、もっと人に分かりやすく
「国語力」を磨いて、私の持っている世界観を人に表現したいです。
感じていることを言葉にすることなら、生きている限り無限に出来るのですから。
ああ、道は果てしなく遠いですね。
私ではなくとも夢の中では皆さん同じ、言葉の生まれてくる「点」を知っているのですから、
あとは経験とかユーモアとかボキャブラリの差で作品が作れるか否かってところになってくるんだと思います。
「点」というより「言葉の泉」とか「記憶の海」とかそういう表現をした方がしっくり来るのでしょうか。
まぁ未来には不安は無いし、別に大して欲も無いですけど
せいぜいエロゲに一生を賭して生きていきたいなぁくらいの夢は持っています。
きっと究極的には「人間」を表現する最強の媒体になる筈ですし。
今もなお、心の病と闘ってます。
でも、正常に人とコミュニケーション出来るのは何でかなぁとつくづく思うのです。
多分、自分で言うのもアレですが「演技」が上手いんじゃないかなぁと・・・。
気分的に、躁になったり鬱になったり
そういうことはしばしばですが、それでも割りと平凡に日々を過ごしています。
4月の頃は、妄想に従って進んでいくと最後は狂って死んでしまうなんて知らなかったので、
「感じるまま、感じることを」し続けて、まさに「妄信」して生きてました。
きっとこれは、ヒトが生き残る為の「本能」なんでしょうねぇ・・・。 「現実」に裏切られてしまったという事実が私をどこまでも突き動かしてました。
幸か不幸か、世界情勢も目まぐるしく動く時期でしたし、いろんな想いがあったと思います。
そして、やっぱりその頃ずっと気になっていたのが好きな声優さんの佐本二厘さんのこととか。
世の中には疑問に思うことどころか、間違ったことも多々存在してるのだと思います。
人の夢を平気で踏みにじる存在。情け容赦なくプライドをへし折る人。
人の心を失ってまで、守りたい何かがあるんでしょう・・・。
その人たちは多分「夢」より「現実」の方が大好きなんですね。
ヒトに生まれた以上、現実を見ていなければ前には進んでいけません。
でも、それ以前に夢があるから現実を見るんじゃないでしょうか。
じゃあ、夢って何かって考えると、それはヒトが生まれながら持っている共通の「設計図」だと思うんですよね。
いつの時代でもそうですけど、「未来」に必要とされるものは、既に現代の人の夢の中にあって
それがタイミングや条件が揃うと具現化されて、時代のリレーが行われていく。
きっとそうやっていつまでもいつまでも、未来に向かって人は「進化」していくんだと思います。
私があの日見た、無限に続く走馬灯も「夢」でしか無いのですが、
その時に感じたイメージが今こうやって言葉になって紡がれています。
あの時見ていた、中心にある「点」を
もしも人が眠る時、もしくは現実から目を逸らした時に同じように想像していたのだとしたら
そこから生まれるものは当然「未来を目指す言葉」や「アイデア」になって表現されていくんだろうなと思います。
そういうことを、あの時「一回死んでみて」知ってしまったから
今はどんな言葉もどんな歌(詞)も、すーーっと頭の中に染み込んで来ます。
ただ、ちょっと後ろ向きになったり、違和感を感じるとすぐに偏頭痛とか身体の痛みになって現れたりするので油断できません。
この前友人2人とカラオケへ行ったんですが、二人ともボーカロイド好きで、
ボカロ曲ばかり歌うんですよね。
でも、詞を見てると、メロディを聴いていると、人の心の揺れ動きがすごく繊細に描かれていて思わず感動してしまいました。
何で同じモノを見て、人が共通に感動できるかってやっぱりそういう「意識の共有」みたいなところから来るんだと思います。
時代時代にタイミングがあって、この時代にはこういう旋律をっていうのもあるのかも知れません。
これから生まれる歌や曲、そして物語にも無限の期待があります。
ふっと溢れる涙の意味は何なのか、繊細だからこそ折れそうになるときもあるけれど
無限の妄想が私に付き合ってくれるから、一人ぼっちでも転ばずに歩ける。
「妄想」って「亡き女を想う」って書きますけど、
本当に一人で生きてる人には大きな力になると思うんですよね。
時には「祈り」とか「願い」ってカタチになって宗教観として現れることもありますけれど、
私には「全ての情報」が宗教みたいなものに感じています。
信じるも、信じないも自分次第なんですから。
世の中には表と裏があって、人にも表と裏があって
でも認識出来るのは、表層する声や文字そして表情であったりとかそういう「情報」です。
そんなことを考えてると、誰を信じていいのか、誰についていっていいのか分からなくなるので、
そんな時はもう「何もわかりませーん」ってお手上げして目の前の人にテキトーに合わせます。
それでも普通にコミュニケーションが成り立ってしまう不思議な自分。
結局は「生き残りたい」という本能があるからこそ、
妄想と現実の自分の行動を器用にコントロールしてしまってるんですよね。
欲を言うならば、もっと人に分かりやすく
「国語力」を磨いて、私の持っている世界観を人に表現したいです。
感じていることを言葉にすることなら、生きている限り無限に出来るのですから。
ああ、道は果てしなく遠いですね。
私ではなくとも夢の中では皆さん同じ、言葉の生まれてくる「点」を知っているのですから、
あとは経験とかユーモアとかボキャブラリの差で作品が作れるか否かってところになってくるんだと思います。
「点」というより「言葉の泉」とか「記憶の海」とかそういう表現をした方がしっくり来るのでしょうか。
まぁ未来には不安は無いし、別に大して欲も無いですけど
せいぜいエロゲに一生を賭して生きていきたいなぁくらいの夢は持っています。
きっと究極的には「人間」を表現する最強の媒体になる筈ですし。
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