抹茶味chips
ヲタ系雑記サイト(二次元全般・舞台訪問・天文・痛車・whisky etc)
※たまにはダラダラと言い訳させてくださいな・・・
この前、熱田神宮に行って合格祈願をして「末吉」が出ただけあって
結果は散散たるものに・・・orz
※過去二回は一次受かって、二次まで行ってる。。。
あれだけのことがあっても、一応勉強して受けに行けただけでも奇跡なのかなーとは今は思うんですが、
それでも今まで公務員試験受けてきて一次落ちだけはしたことが無かったのでやっぱりちょっとショックですね。
結局2回目が一番合格に近い結果に。
それで、落ちてみて気付いたんですが、
私の夢。為すべきことって何なのかなぁと、改めて考え直すに至りました。
何で東京なのかな、と言えば「東京に住みたいから」
じゃあ何で東京に住みたいのかと言えば「オタライフを満喫できるから」
じゃあ何でオタライフを満喫したいのか・・・
って考えていくと、消防士って仕事自体、必ず飽きると思うんですよね。
というか、私に会ったことのある方ならご存知かと思うのですが、
私って究極的に飽き性なんですよ・・・ じゃあ何で消防士を目指したのかといえば、単純に「人」を助けたいから。
その「人」の定義って誰?名古屋じゃダメなの?「助ける」って何?
危険な場所で、死に瀕している人を助ける。また、危険を未然に防ぐ。
確かにこれってすごくカッコいいことだと思いますし、誰でも憧れると思います。
じゃあ一体何人助ければ、自分は満足できるのだろうか。
一体何人に「ありがとう」と言って貰えれば満足できるのだろうか。
論文には、かなり「理想論」を書いたつもりです。
でも結局落とされてるのは、受けが悪かったんだと思います・・・
自分は多分、「システムさえちゃんとしてれば事故や災害で犠牲になる人は出ない」みたいな論調だったのが良くなかったのかなぁとか今になって思います。
やっぱり、自分は「理想」しか描けないんだなって、今になって思います。
我侭。自己中心的。言い出したらキリがないけど、とにかくダメなんです。
そもそも、こうやって目指し続けたことをサワーグレープ的に諦めていく自分の感情すらも面白い。
それで結局、じゃあ私は「何のために今生きているんだろう?」という疑問に戻ります。
あの時、狂って死んじゃって、そのまま目を覚まさなければきっと幸せだったんだろうなって思うこともまだあります。
あの走馬灯の中では、言葉の花が無限に咲いていた。
言葉はヒトが未来を目指す為の「道具」に過ぎなかった。
未来を目指す為には「愛」を知らなければいけなかった。
でも、その走馬灯の中で好きだったのは二次元のキャラクター(偶像)だったという・・・(汗
結局自分も、才能が無くても何でもいいから、二次元の業界のどこかに携わらなければならないんだと思います。
どうせ「色の無い世界」で仕事をしていても、言い訳をし続ける毎日になる。
妄想癖が治らないなら、妄想癖を生かす仕事をすればいい。
理想の女性像、恋愛のカタチ、ヒトのあり方、これからの未来、間違った過去、全部全部描きまくればいい。
仕事もままならないほどの酷い妄想なら、「助けてー!」って病院にかくまってもらえばいい。
(まぁ何だかんだ言いながら、偏頭痛抱えつつ妄想しつつフツーに仕事してるんですけどね・・・)
どうせできない、私にはやれない、失敗したくない、家族に迷惑をかけたくない
そんな言い訳死ぬ時にすればいい。
未練があったから、あの時に死ねなかったんだ。
正直言って、PCゲームほど理想の精神世界を描ける媒体は無いと今も思っています。
夢と現実なら、夢を追う方が楽しい。生きてる感じがする。
現実を直接的に変えていこうとして途方に暮れている人の仲間入りはめんどくさい。
別に今大して欲しいものなんてありません。生きてるだけで幸せ。物欲ももうどこかへ消えました。
あとは、背中を押す「何か」が私の中にいるから、それだけで今生きてます。
とりあえず、東京へ出るだけならサルでも出来るので、その時に何を持っていくか。
あとは、引っ越すためと当面必要となる金銭面の問題を解決すること。
そのために、もう少し名古屋にいるうちに稼ぎのいい仕事をしようと思います。
危ないことはあんまりしないようにとは家族には言われますが、幸いにも資格があるのでこれを生かさない手は無いかなぁと。
何にもなれなかった自分が、一体何になれるのか自分でも皆目検討つきませんが、
自分の脳がところどころで合理的に軌道修正してくれるので、とんでもない過ちを犯すことも無いんじゃないかなぁと思ってます。
人間やろうと思えば、出来ない仕事なんて無いと思いますよ。多分。
とにもかくにも「自我」が確立するのが遅すぎた。遠回りし過ぎた。
ここまでしないと、自分が何故「未来」のために生きるのかが分からなかった。
ただ、その遠回りしていた間にした経験はきっと無駄にはならないと思います。
目覚めたとき「記憶を失う」という道だって、もしかしたらあったかもしれないのだし。
それでも全部、楽しいことも苦しいことも何もかも覚えてるというのはきっと役に立つから。
まぁ何かを始める時には、この「いまそかり」という名前は捨ててしまっているかもしれませんが、いましばらく(何年くらいだ?)生暖かく見守ってもらえれば嬉しいです。
とりあえず、今は人とのコミュニケーションの中で起こる反応とか
動物の面白い反応とか、神社やら何やらでの不思議なこととかがいちいち楽しくて仕方ないです。
この前、熱田神宮に行って合格祈願をして「末吉」が出ただけあって
結果は散散たるものに・・・orz
※過去二回は一次受かって、二次まで行ってる。。。
あれだけのことがあっても、一応勉強して受けに行けただけでも奇跡なのかなーとは今は思うんですが、
それでも今まで公務員試験受けてきて一次落ちだけはしたことが無かったのでやっぱりちょっとショックですね。
結局2回目が一番合格に近い結果に。
それで、落ちてみて気付いたんですが、
私の夢。為すべきことって何なのかなぁと、改めて考え直すに至りました。
何で東京なのかな、と言えば「東京に住みたいから」
じゃあ何で東京に住みたいのかと言えば「オタライフを満喫できるから」
じゃあ何でオタライフを満喫したいのか・・・
って考えていくと、消防士って仕事自体、必ず飽きると思うんですよね。
というか、私に会ったことのある方ならご存知かと思うのですが、
私って究極的に飽き性なんですよ・・・ じゃあ何で消防士を目指したのかといえば、単純に「人」を助けたいから。
その「人」の定義って誰?名古屋じゃダメなの?「助ける」って何?
危険な場所で、死に瀕している人を助ける。また、危険を未然に防ぐ。
確かにこれってすごくカッコいいことだと思いますし、誰でも憧れると思います。
じゃあ一体何人助ければ、自分は満足できるのだろうか。
一体何人に「ありがとう」と言って貰えれば満足できるのだろうか。
論文には、かなり「理想論」を書いたつもりです。
でも結局落とされてるのは、受けが悪かったんだと思います・・・
自分は多分、「システムさえちゃんとしてれば事故や災害で犠牲になる人は出ない」みたいな論調だったのが良くなかったのかなぁとか今になって思います。
やっぱり、自分は「理想」しか描けないんだなって、今になって思います。
我侭。自己中心的。言い出したらキリがないけど、とにかくダメなんです。
そもそも、こうやって目指し続けたことをサワーグレープ的に諦めていく自分の感情すらも面白い。
それで結局、じゃあ私は「何のために今生きているんだろう?」という疑問に戻ります。
あの時、狂って死んじゃって、そのまま目を覚まさなければきっと幸せだったんだろうなって思うこともまだあります。
あの走馬灯の中では、言葉の花が無限に咲いていた。
言葉はヒトが未来を目指す為の「道具」に過ぎなかった。
未来を目指す為には「愛」を知らなければいけなかった。
でも、その走馬灯の中で好きだったのは二次元のキャラクター(偶像)だったという・・・(汗
結局自分も、才能が無くても何でもいいから、二次元の業界のどこかに携わらなければならないんだと思います。
どうせ「色の無い世界」で仕事をしていても、言い訳をし続ける毎日になる。
妄想癖が治らないなら、妄想癖を生かす仕事をすればいい。
理想の女性像、恋愛のカタチ、ヒトのあり方、これからの未来、間違った過去、全部全部描きまくればいい。
仕事もままならないほどの酷い妄想なら、「助けてー!」って病院にかくまってもらえばいい。
(まぁ何だかんだ言いながら、偏頭痛抱えつつ妄想しつつフツーに仕事してるんですけどね・・・)
どうせできない、私にはやれない、失敗したくない、家族に迷惑をかけたくない
そんな言い訳死ぬ時にすればいい。
未練があったから、あの時に死ねなかったんだ。
正直言って、PCゲームほど理想の精神世界を描ける媒体は無いと今も思っています。
夢と現実なら、夢を追う方が楽しい。生きてる感じがする。
現実を直接的に変えていこうとして途方に暮れている人の仲間入りはめんどくさい。
別に今大して欲しいものなんてありません。生きてるだけで幸せ。物欲ももうどこかへ消えました。
あとは、背中を押す「何か」が私の中にいるから、それだけで今生きてます。
とりあえず、東京へ出るだけならサルでも出来るので、その時に何を持っていくか。
あとは、引っ越すためと当面必要となる金銭面の問題を解決すること。
そのために、もう少し名古屋にいるうちに稼ぎのいい仕事をしようと思います。
危ないことはあんまりしないようにとは家族には言われますが、幸いにも資格があるのでこれを生かさない手は無いかなぁと。
何にもなれなかった自分が、一体何になれるのか自分でも皆目検討つきませんが、
自分の脳がところどころで合理的に軌道修正してくれるので、とんでもない過ちを犯すことも無いんじゃないかなぁと思ってます。
人間やろうと思えば、出来ない仕事なんて無いと思いますよ。多分。
とにもかくにも「自我」が確立するのが遅すぎた。遠回りし過ぎた。
ここまでしないと、自分が何故「未来」のために生きるのかが分からなかった。
ただ、その遠回りしていた間にした経験はきっと無駄にはならないと思います。
目覚めたとき「記憶を失う」という道だって、もしかしたらあったかもしれないのだし。
それでも全部、楽しいことも苦しいことも何もかも覚えてるというのはきっと役に立つから。
まぁ何かを始める時には、この「いまそかり」という名前は捨ててしまっているかもしれませんが、いましばらく(何年くらいだ?)生暖かく見守ってもらえれば嬉しいです。
とりあえず、今は人とのコミュニケーションの中で起こる反応とか
動物の面白い反応とか、神社やら何やらでの不思議なこととかがいちいち楽しくて仕方ないです。
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